甲子園に鳴り響くサイレン、いったい何のため? 意外と知られぬ「歴史」と「目的」 | ニコニコニュース



高校野球の季節がやってきた。第101回全国高校野球選手権大会が2019年8月6日、聖地・甲子園球場で開幕した。連日、テレビにくぎ付けとなっている高校野球ファンも多いことだろう。猛暑が続く中、高校球児はグランドで躍動する。夏の風物詩甲子園大会が熱く盛り上がっている。

高校野球ファンのひとりである記者は、春夏通じて甲子園取材の経験を持ち合わせるが、長らく気になっていたことがある。それは甲子園大会で耳にするサイレンだ。試合前や試合終了後に球場で鳴らされるあのお馴染みのサイレン。いったいどのような目的で、いつから鳴らされるようになったのだろうか。J-CASTニュース編集部は、大会を運営する主催者に聞いてみた。

「開始時期についてはっきりわかりませんでした」

今大会で101回目を数える歴史ある選手権大会は、1915年に第1回大会が開催された。当時は「全国中等学校優勝野球大会」という名称で、大阪・豊中グランドで行われたのが夏の甲子園の始まりである。今から104年前の第1回大会で、果たして現在のようにサイレンを鳴らしていたのだろうか。主催者に聞いてみたところ、「阪神甲子園球場にも確認をしましたが、(サイレンの)開始時期についてはっきりわかりませんでした」との回答を得ることができた。

サイレンの起源について明確なことは分からなかったが、1936年8月21日付け「東京朝日新聞」の夕刊1面に、「サイレン・喊聲・拍手」の見出しで、第22回大会の記事が掲載されている。紙面には「大優勝試合のサイレンは午後2時を期して高らかに鳴り響いた」との記述があることから、少なくとも36年当時にはすでにサイレンが鳴らされていたことが分かる。

甲子園球場サイレンが鳴らされるのは、試合前のシートノックプレーボールゲームセットタイミングで、放送室にいるスタッフによって鳴らされるという。また、毎年8月15日正午にサイレンが鳴らされる。ちなみにこのサイレン音の長さを計測したところ、約16秒間、球場内に鳴り響いていた。

1937年にはサイレンに代わって進軍ラッパが

では、いったいどのような目的でサイレンが鳴らされるのか。主催者から得た回答は次の通りだった。

「試合の開始や終了などについて知らせる目的です。サイレンを鳴らすことで球場全体に広く知らせることができると思います」

ここからは記者の推測にすぎないが、通信機器が乏しかった時代において、球場内で働くスタッフや、球場の外で次の試合を待つファンサイレンで進行具合を知らせていたのではないだろうか。一説によると、甲子園球場の最寄り駅の駅員らに試合の進行具合を知らせる目的もあったといわれている。試合が終われば大勢の観客が駅になだれ込むため、その準備や対応をするためにサイレンを鳴らして知らせていたとの説もある。

甲子園大会の象徴ともいえるサイレンが途切れたことがあったという。1937年に開催された第23回大会でのことだ。この年の7月に起きた盧溝橋事件の影響によるものかは不明だが、同大会では試合開始時、終了時にサイレンに代わって進軍ラッパが鳴らされたという。甲子園大会の悲しい歴史である。

昭和、平成と受け継がれてきた甲子園大会のサイレンSNSなど通信手段が飛躍的に発達した現代において、サイレンが果たしてきた役目は終わったようにも思えるが、その伝統は絶えることなく令和の時代に脈々と受け継がれている。

J-CASTニュース編集部 木村直樹)

高校野球の聖地・甲子園球場


(出典 news.nicovideo.jp)